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日本大学量子科学研究所Institute of Quantum Science, Nihon University

Contents

    研究所紹介

    所長挨拶

    日本大学本部の付置研究所である量子科学研究所は,日本大学原子力研究所(1957年創設)を前身とし2002年に名称変更を兼ねる形で発足しました.量子科学研究所は,量子科学に関する理学的・工学的な貢献を目的として,加速器科学,量子光学・原子光学,プラズマ・核融合科学,素粒子論・量子論,計算物理学の分野において研究を遂行しています.研究員としては,専任所員に加えて、日本大学理工学部,医学部,歯学部,松戸歯学部,生物資源科学部,文理学部などから兼任所員を迎えて,研究活動を進めております.

     量子科学研究所は今後とも理工学,医科歯科学,生物生命科学,エネルギー科学など広範な分野における課題解決に向け,量子科学技術を通じて挑戦していきます.加えて,量子科学の他分野への展開や融合による萌芽的研究を育み,新たな学術的・技術的研究分野を切り開く先導的役割を果たしていきます.

    今後とも,一層のご指導,ご鞭撻,そしてご支援を賜りますようお願いいたします.

    日本大学量子科学研究所
    所長  轟 朝幸

    目的・事業

    名称

      この研究所は、日本大学量子科学研究所(Institute of Quantum Science, Nihon University)と称し、

      日本大学に設置する。

    目的

      研究所は、量子力学の基礎とその応用に関する研究を行うことを目的とする。

    事業

      研究所は、前条の目的を達成するため、本大学の関連学部と緊密な連係の下に、 次の事業を行う。

      1. 量子科学の基礎及び応用に関する研究

      2. 共同研究及び委託研究

      3. 研究会・シンポジウム等の開催

      4. 学外研究機関等からの研究員の受入れ

      5. その他研究所の目的達成に必要な事業

    研究所のあゆみ

    原子力研究所から量子科学研究所へ

    昭和32年に創設された日本大学原子力研究所は、日本大学の学術研究拠点の一つとして、原子力の基礎及び応用の研究を推進し、同時に、物理学科及び物理学専攻の教育に携わってきた。原子力研究所は、平成4年に量子理工学専攻が開設されたのに伴い、教育面では主としてその教育を担当するようになったが、量子科学の基礎及び応用の研究を中核とした科学研究の一層の充実・発展を目指して、平成14年3月1日をもって、量子科学研究所に名称変更された。

     研究テーマは、常に開拓者精神に富むものが選ばれており、創設時からの「核融合」、「プラズマ科学」及び「超伝導」に加えて、「加速器科学(自由電子レーザー)」及び「量子光学」が実験的研究として行われている。理論的研究では、「素粒子・原子核物理」、「計算物理」、「非線形非平衡統計物理」などの独創性を要する先端的研究が行われている。以上を含む多くの研究には、理工学部の他、医学部など本学関連学部からの兼任研究員、国内外の客員研究員が参加している。また国際シンポジウムや研究会が随時開催されている。

     冒頭にも述べられているように、原子力研究所から量子科学研究所へ名称変更してからいまだ日は浅く、その沿革を述べることは原子力研究所のあゆみから述べることとなる。

    原子力研究所の創設

     原子力の利用は、広島、長崎の原爆に見られるように、軍事利用から始まったが、1950年代になると、世界的に原子力の平和的利用が叫ばれるようになり、その民事利用も進められるようになった。日本においても1955年6月に財団法人日本原子力研究所が設立され、原子力の平和利用の研究開発が、国の主導で始まった。

     このようなとき、当時の理事会長(1958年会頭)古田重二郎は、理工学部の前身である工学部に、原子力研究所をつくる計画をたて、日本で最初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士に相談した。基礎研究を重視した湯川博士は、物理学科を創立した上で、原子力の研究を行うべき助言をし、1955年4月に物理教室が設置され、翌年3月工学部は物理学科を発足させたため理工学部と改称した。それと同時に、物理学科と表裏一体の形で日本大学原子力研究所(原研)が発足した。原研は1963年3月に法制化され本部所属となり、1978年4月には物理学科と組織上分離し、独立した機関となった。

     原子力研究所、物理学科では創設時のプロジェクト研究として当時日本においてはほとんど着手されていなかった核融合の研究が取り上げられた。同時に、理論(素粒子、原子核、科学史)、物性の研究グループが設置された。その後、1958年にはプラズマ理論、1967年には物性理論が発足した。さらに組織上分離した後、1975年にπ中間子(現加速器科学)、1984年に高温プラズマ(現プラズマ科学)、1986年には非線形非平衡統計物理学の各グループが原子力研究所に設置された。1998年には新たな分野として量子光学が加わり現在に至っている。

    プロジェクト研究の推進

     核融合グループは1958年1月から磁気鏡型の誘導放電による核融合大型装置の設計に着手し、1962年1月その装置による高温プラズマの発生に成功した。このとき得られた実験結果は、世界の諸装置のものと比較しても全く遜色のないものであり、日本の核融合界をリードしてきた。1964年にはテータピンチ小型実験装置、年には1/4セクターのバンピートーラス装置,1987年には逆磁場ピンチプラズマ実験装置、1988年にはコンパクトトーラス実験装置などを製作し、高ベータ閉じ込め装置による核融合の実現に向けて研究を強力に進めている。

    物性グループは1961年に当時東北大学など5ヵ所の大学にしかなかったヘリウム液化器を設置した。その翌年には不均質第2種超伝導体の応用研究を開始し、超伝導マグネットの開発に乗りだした。日本ではまだ超伝導マグネットの研究が全く行われていない時期であった。物性グループでは1965年からいくつかの超伝導マグネットを試作している。また国際エネルギー機関(IEA)で行われた磁気核融合炉用大型超伝導マグネットを製作する大型コイル事業計画に日本代表として故安河内昂がここから派遣された。日本が分担したマグネットは東海村の日本原子力研究所において製作されたが、物性グループはその開発に重要な貢献をしてきた。 1960年代からアメリカ、カナダ、スイスでπ中間子による癌治療の研究が行われるようになった。最初に中間子を理論的に予言した湯川博士がこの放射線治療に関心を示し、日本でもこの研究を始めようと呼びかけた。原研はそれに答えてπ中間子による癌治療計画を1975年4月に開始し、π中間子グループが発足した。この計画の発足が原研の組織としての独立の契機となり、原研は理工学部のみならず医、歯、農獣医(後に松戸歯、文理も参加)などの他学部にまたがる共同研究の場となった。1985年には円形マイクロトロンが、1989年には35MeVのダブル・サイデット・マイクロトロン(DSM)が完成したが、この計画については本部の承認が得られなかったため、計画変更を余儀なくされた。1992年にπ中間子グループは加速器科学グループに名称変更し、そのDSMは電子線利用センターで使われることになった。

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